初期中絶の体験を記録していく

やむをえない事情で初期中絶をしなくてはならなくなった。その体験を記録していく。

はじめに

既婚子なしの女。やむをえない事情で初期中絶をしなくてはならなくなってしまった。想像をはるかに超えた辛い体験だった。忘れないために記録しておく。

○中絶を体験するまでの、中絶に対する私の考えは次のとおり。

1)中絶は基本的に「生命を絶つこと」であり、してはいけないこと。妊娠・出産の覚悟なくセックスするのは許されないこと。だから、出産できないならきちんと避妊しておくべき。

2)コミュニケーションとしてのセックスを否定しない。セックスはパートナーとのコミュニケーションの面も大きいので、「セックス=妊娠目的以外でしてはいけない」とは考えていない。

3)1)を前提としつつ、レイプや避妊したにもかかわらず失敗して妊娠をした場合、パートナーが逃げてしまい精神的・肉体的に一人では育てられない場合に、中絶が選択されるのは仕方がない。経済的・環境的・家族関係的に悪い条件で産み落とされる子どもは不利な人生を歩む。そういう宿命が見通せるなら無責任に産むべきではない。

 

以上は、まぁわりと「ふつう」の感覚なんじゃないかと思う。もちろん、周囲の友人のなかには「中絶は殺人。絶対したくない」「お母さんになるのが夢だから、できたら絶対に産む」という人もいる。夢や価値観は人それぞれなので、こういう考えの女性も別に否定はしない。ただ、他人にそれを押し付けるのはいかがなものかと思う。

ちなみに自分はいわゆる「高学歴」と呼ばれるグループに属しており、フルタイム正規職で働いている。自分と似たようなキャリアの友人や周囲の人々を見渡すと、別に聞いてみたわけではないけど、上の1)~3)の感覚は共有してくれる人が多いと思う。機会費用の考え方とか、自身やパートナーの経済力でどの程度教育投資に差が出るかとかの知識を持ってる人が多いし、そういう意味での「理屈」が通じる人が多い。

私個人の出産に対する考え方で、一般からすると少しずれるかもしれないのは以下の点。

4)個人的には、別に貧乏ではないが不和の家庭に育ち(父親の暴力、父親の浮気、金を家に入れない)、母親は「子どものために離婚しなかった」「女は経済的に自立すべき」「自立のためには子どもは邪魔なこともある」と常々言っていた。「私のためにお母さんは不幸に耐えている」と思いながら子ども時代を過ごした。今 の私があるのは両親のおかげであり、すごく感謝しているけど、その子ども時代の「自分がいなければお母さんはもっと幸せになれたの かな」感はいまだに拭いきれない。だから、「子どもを産む」=「正しいこと」「家族が増えて幸せ!」と単純に思えない。

この4)があったので、これまで子どもがいなくても特に残念だとは思っていなかったし、夫ともうまくやっているのでこれ以上何も求めていなかった。結婚して長い間子どもはできなかったが、特に不妊治療などをしようとも思わなかった。

 

まとめると、

・中絶に対して世間なみの忌避感やタブーの感情をもっているが、合理的に考えて条件が整わないのであれば中絶はやむをえないと考えていた。

・子どもを持つことに対してさほどの熱意をもっていなかった。夫婦のみの人生も十分幸せだと思っていたし、働いているので仕事の責任を果たすことが大事。