初期中絶の体験を記録していく

やむをえない事情で初期中絶をしなくてはならなくなった。その体験を記録していく。

手術後の経過①:精神不安定、激しい腹痛

手術終了後に処方された薬は、抗生物質(トミロン)、子宮収縮剤(メデルギン)、解熱鎮痛剤(カロナール)、胃薬(セルベックス粉末)が各3日分。手術当日の夕食後から飲み始めた。

手術翌日は仕事を休んで安静にしていたが、特に腹痛や出血もほとんどなく、体は元気だった。手術翌日の診察へ行き、子宮内に出血がみられるということで、現在の薬を飲み終わったあとに飲むようにと、5日分の薬が追加された(抗生物質:セフノン、解熱鎮痛剤:ロキソニン)。

だが、「中絶をしてしまった」という実感がわいてきて、もうおなかのなかに子どもはいないんだという喪失感があった。また、それとあわせて、手術中にみた孤独な世界の幻覚が何度も思い出された。あれはいったいなんだったのかと、混乱し続けていた。まだつわりの眠気が残っていて、午後になると布団をしいて眠っていた。

夫が仕事から帰宅後、話を聞いてほしくて幻覚の話や手術前後の話をするのだが、夫の反応が「軽い」感じがして、イライラしてしまった。感情や感覚を夫と共有したかったのだと思う。夫は精一杯きいてくれたと思うが、つわりで自分の肉体が変わっていく感覚や手術室のあのいやな感じを共有するのは難しかったのだろう。行き違いで、ささいなことで喧嘩になってしまい、夫を怒らせてしまった。「俺は朝早くから仕事をして、疲れてるんだよ。話は十分きいたよね?明日も早い。俺は君より早く起きて君より遅く寝なきゃいけないのか?」というようなことを言われて、そんなこと言ってないし手術翌日にゆっくりしていて何が悪いんだろうかと怒りを感じたが、こうなってしまったら何を言っても悪い方向にしかいかない。

夫を怒らせたことで精神不安がマックスになった。自分勝手な都合で中絶して子どもを殺して、仕事も休まなければならないし、私が選択して夫を説得して中絶したのにその結果精神不安定で夫にも迷惑をかけるし、こんな人間は死んだ方がいい、と思うようになった。そう考えていると涙がダラダラ流れてきて、「あの麻酔のなかでみたような静かな場所へ行けば楽になれる。死ねばあんなふうに楽になる」というあたりまで考えてしまった。このままではマズイと思い、夜の12時頃に一度家を出た。夫は心配してとめようとしたが、「生理用品を買いに行く」と嘘をついて家を出た。1時間くらい、泣きながら夜の街をグルグル運転した。まったく考えはまとまらなかったが、死にたいという気持ちは薄まった。午前1時頃に家に帰り、眠ることができた。

手術終了3日目(翌々日)~4日目

朝目覚めても自責で涙が出る。このとき、はじめて、「私は中絶したくなかった」という感情を自覚した。「しなくてはならないことをした」というほっとした感覚以上に、中絶したくなかった、失いたくなかった、という気持ちが大きくなった。これは事前にまったく予想していなかったことで、自分でもびっくりした。中絶後はホルモンバランスで精神不安定になるというのも読んだことがあるが、その状態だったのかもしれない。「中絶したくなかった」という気持ちを認めることで少し落ち着いたような気もした。とにかくふさぎ込まないために換気をしたり部屋の片づけをしたり、動くようにした。近くのお寺に供養にいこうかなどとも考えたりした。

この日も夕方までほとんど腹痛も出血もなく、「こんなに血がでなくて大丈夫なんだろうか?」と思っていた。しかし20時頃、夕飯を作っていると、下腹部が徐々に痛くなってきた。お腹が張って痛む感じ。そのうち、まっすぐ立っていることが難しいほどに痛みが強まってきた。トイレに1時間くらいこもり、腹痛とお腹が下るのに耐えた。このとき、少しだけ鮮血の出血があった。痛みが軽くなったところで食事をとり薬を飲んだ。その後、鎮痛剤が効いたのか寝ることができたが、午前4時頃に再び痛みで目が覚める。このときもトイレに1時間ほどこもって腹痛と下痢。トイレで声が出るほどに痛い。トイレに行くときもまっすぐに立って歩けないので、腰を曲げたおばあさんのような体勢でゆっくりしか移動できない。座っていても寝ていても痛みがあり、まったく仕事に行ける気配ではない。高熱はなかったが、ひたすら布団とトイレの往復。

あまりに痛みが強いために、夜が明けてから病院へ電話をした。その日は休診日のため、「鎮痛剤で明日まで様子をみて、明日、診察に来てください」とのこと。結局一日、痛みに耐える以外ほぼ何もできず過ごした。ただ、この日の午後から追加されたロキソニンを飲み始めて、カロナールよりは鎮痛効果が高いような気がした。

よく、中絶手術後は翌日から仕事に行けますよ、と書かれているが、これほどの痛みが出てもできる仕事ってどんなのだろうかと思う。少なくとも私は痛みのあまりまったく仕事ができる状態ではなかった。