初期中絶の体験を記録していく

やむをえない事情で初期中絶をしなくてはならなくなった。その体験を記録していく。

手術後の経過①:精神不安定、激しい腹痛

手術終了後に処方された薬は、抗生物質(トミロン)、子宮収縮剤(メデルギン)、解熱鎮痛剤(カロナール)、胃薬(セルベックス粉末)が各3日分。手術当日の夕食後から飲み始めた。

手術翌日は仕事を休んで安静にしていたが、特に腹痛や出血もほとんどなく、体は元気だった。手術翌日の診察へ行き、子宮内に出血がみられるということで、現在の薬を飲み終わったあとに飲むようにと、5日分の薬が追加された(抗生物質:セフノン、解熱鎮痛剤:ロキソニン)。

だが、「中絶をしてしまった」という実感がわいてきて、もうおなかのなかに子どもはいないんだという喪失感があった。また、それとあわせて、手術中にみた孤独な世界の幻覚が何度も思い出された。あれはいったいなんだったのかと、混乱し続けていた。まだつわりの眠気が残っていて、午後になると布団をしいて眠っていた。

夫が仕事から帰宅後、話を聞いてほしくて幻覚の話や手術前後の話をするのだが、夫の反応が「軽い」感じがして、イライラしてしまった。感情や感覚を夫と共有したかったのだと思う。夫は精一杯きいてくれたと思うが、つわりで自分の肉体が変わっていく感覚や手術室のあのいやな感じを共有するのは難しかったのだろう。行き違いで、ささいなことで喧嘩になってしまい、夫を怒らせてしまった。「俺は朝早くから仕事をして、疲れてるんだよ。話は十分きいたよね?明日も早い。俺は君より早く起きて君より遅く寝なきゃいけないのか?」というようなことを言われて、そんなこと言ってないし手術翌日にゆっくりしていて何が悪いんだろうかと怒りを感じたが、こうなってしまったら何を言っても悪い方向にしかいかない。

夫を怒らせたことで精神不安がマックスになった。自分勝手な都合で中絶して子どもを殺して、仕事も休まなければならないし、私が選択して夫を説得して中絶したのにその結果精神不安定で夫にも迷惑をかけるし、こんな人間は死んだ方がいい、と思うようになった。そう考えていると涙がダラダラ流れてきて、「あの麻酔のなかでみたような静かな場所へ行けば楽になれる。死ねばあんなふうに楽になる」というあたりまで考えてしまった。このままではマズイと思い、夜の12時頃に一度家を出た。夫は心配してとめようとしたが、「生理用品を買いに行く」と嘘をついて家を出た。1時間くらい、泣きながら夜の街をグルグル運転した。まったく考えはまとまらなかったが、死にたいという気持ちは薄まった。午前1時頃に家に帰り、眠ることができた。

手術終了3日目(翌々日)~4日目

朝目覚めても自責で涙が出る。このとき、はじめて、「私は中絶したくなかった」という感情を自覚した。「しなくてはならないことをした」というほっとした感覚以上に、中絶したくなかった、失いたくなかった、という気持ちが大きくなった。これは事前にまったく予想していなかったことで、自分でもびっくりした。中絶後はホルモンバランスで精神不安定になるというのも読んだことがあるが、その状態だったのかもしれない。「中絶したくなかった」という気持ちを認めることで少し落ち着いたような気もした。とにかくふさぎ込まないために換気をしたり部屋の片づけをしたり、動くようにした。近くのお寺に供養にいこうかなどとも考えたりした。

この日も夕方までほとんど腹痛も出血もなく、「こんなに血がでなくて大丈夫なんだろうか?」と思っていた。しかし20時頃、夕飯を作っていると、下腹部が徐々に痛くなってきた。お腹が張って痛む感じ。そのうち、まっすぐ立っていることが難しいほどに痛みが強まってきた。トイレに1時間くらいこもり、腹痛とお腹が下るのに耐えた。このとき、少しだけ鮮血の出血があった。痛みが軽くなったところで食事をとり薬を飲んだ。その後、鎮痛剤が効いたのか寝ることができたが、午前4時頃に再び痛みで目が覚める。このときもトイレに1時間ほどこもって腹痛と下痢。トイレで声が出るほどに痛い。トイレに行くときもまっすぐに立って歩けないので、腰を曲げたおばあさんのような体勢でゆっくりしか移動できない。座っていても寝ていても痛みがあり、まったく仕事に行ける気配ではない。高熱はなかったが、ひたすら布団とトイレの往復。

あまりに痛みが強いために、夜が明けてから病院へ電話をした。その日は休診日のため、「鎮痛剤で明日まで様子をみて、明日、診察に来てください」とのこと。結局一日、痛みに耐える以外ほぼ何もできず過ごした。ただ、この日の午後から追加されたロキソニンを飲み始めて、カロナールよりは鎮痛効果が高いような気がした。

よく、中絶手術後は翌日から仕事に行けますよ、と書かれているが、これほどの痛みが出てもできる仕事ってどんなのだろうかと思う。少なくとも私は痛みのあまりまったく仕事ができる状態ではなかった。

手術当日(2)

11時15分頃、看護師さんに連れられて手術室へ。このときも点滴はしたまま。右ひじを曲げられないのでかなり不便。
手術室に入ると、手術台が目に飛び込んできて戸惑う。婦人科の内診台(椅子)のようなものをイメージしていたのだが,本格的な手術台だった。緊張が高まるが、このあたりから何となく意識がぼんやりしてきた。事前にした筋肉注射のせいだろうか。
看護師さんが2名。医者はまだいない。手術台に寝かされて「ライトがまぶしいので目の上にタオルを置きますね」とタオルを置かれる。何も見えなくなった。履いていたパジャマのズボン・靴下・下着を看護師さんにとってもらい、心電図の器具を胸につけられる。手足も所定の台の上に置かれ、右腕は血圧を測るために何かをまかれていた。足が固定されていたかどうかは覚えてない。
ずいぶん待った気もするが、実際には5分か10分くらい経過しただろう頃に医師の声がした。このときすでに眠くなっていたのだが、「麻酔をしていきますね」で意識がなくなる。麻酔のなか、非常に現実的な夢(幻覚)をみたので、以下に記す。

麻酔時の夢:

真っ暗ななか、極彩色の赤や緑の原色の大きなパネルが見える。金属製で下敷きのような薄さだが、縦は5メートルくらいありそう。それが、強風に吹かれた本のページや印刷中の新聞のように、ものすごい速さでめくられながらこちらに近づいてくる。パネルにあおられて、少し冷たい風を感じる。自分自身がそのパネルのページの中に挟まれて吸い込まれそうで恐怖を感じるものの、すぐにその圧倒的な存在感に抵抗をあきらめる。
気づくと、モノクロの世界にいる。「居る」というか、その中に粒子として溶けている感覚。灰色の長方形だけが視界の端にみえる暗い空間。二次元のようで奥行がない。自分が粒子か感覚だけの存在になり、自分の肉体が失われたことを悟る。自分が誰か、何であったか思い出せない。思い出せないことは苦痛ではなく、「他の誰でもない自分」という実在感が消えて、他人や周囲のものとの区別の感覚も消えている。自己にも他者にも一切の関心がなく、ものすごく静かで平板な気分になっている。苦痛もないが特に多幸感があるわけでもなく、ただひたすらに「おさまるところにおさまっている」という感覚。幸せとかつまらないとかの一切の感情が失われた無風の状態。時間の感覚もなく、過去や未来への関心もまったく失われている。

そうしていると、「今まで自分が現実だと思っていた世界や自分の肉体のほうが嘘で、本当はずっとここでこうしていたんだな。そしてこれからもずっとここにいるんだな」「自分などそもそもなかった。むしろこれがあるべき姿だった」という、これまで感じたことのないような気分に。このときの、まさに「無風」の精神状態がもたらす安心感は、ちょっと体験したことがない感覚で、おそらく麻酔で脳のどこかが抑制されていたことによるのだろうが、目覚めた後もかなり強く印象に残った。
ただ、掃除機のようなブーンという音や電子音(バイタルの音?)が耳元でものすごく大きく聞こえて、「この音はいつ止むんだろう?この音が止めば完璧なのに」と思っていた。(でもそれに対して怒りを感じるとかではなく,ただ単に「こうなったらいいのに、どうしてならないのかな?」という超フラットな感じ)。
肉体がなくなった(自分と肉体は無関係にものなった)と感じる前後に、本当に肉体が自分と無関係のものになったのか試しに左足を動かしたらバンドのようなもので拘束されていて、「あ、拘束されているんだ」と思ったことを覚えている。このとき麻酔薬が切れかけていたのかもしれない。そのあと(麻酔薬が追加されたのか)モノクロの無の世界に入り「まぁいいや。やっぱり自分では動かせないし、肉体とかもう関係ない」という境地に。

麻酔からの覚醒:
その状態にしばらくいると、遠くから「○○さ~ん・・・○○さ~ん」と名前を呼ぶ声が聞こえてきた。しかし、この時点ではその「声」が何を意味するのかわからない。人の声で、その声が示しているのは名前らしい、と思い出す。「誰かの名前が呼ばれている」「もしかして○○って私の名前?名前があった気もする。でもずっとここ(モノクロの世界)にいた私に名前?」と混乱する。そして数秒の間で記憶を取り戻しながら、「あぁ・・・あの世界にまた戻るのか。あの肉体と感情を持った世界に。面倒だな。ここでずっと時間も感情もなく静かにしていたい」という気分があった。(あとから思い出すと、現実に戻ってきたくないと感じた自分がなんだかショックだった。)
一度思い出すと、覚醒速度は一気に上がった。下着を履かされる感覚の後、「○○さん,深呼吸してください!○○さん!」という声が聞こえた。朦朧としながら思い切り息を吸う。呼吸が止まっていたのか、息を吸いながらも「苦しい」という感覚。閉じていた喉をこじ開けるように、ヒューという音がする。深呼吸しようとするが、息を吐こうとすると同時に強烈な吐き気で胃が押し出されそうになる。絶食しているから空気しかでてこない。
断片的な意識。手術台に体を起こされるが、首が座らない。「○○さん、首まっすぐにして!前を向いて!」と声が聞こえ、「首ってどこだっけ」と思いだしながら、首を立てるが油断すると意識を失ってしまう。看護師さんに抱きかかえられて車いすに乗せられ、「足をここ(車いすの足置き)に置いてください、見えますか?」と声。自分の足に目をやって、「これが足。うん。足をここに置く。置いた」と思った瞬間意識が飛んで再び首がガクンと落ちる。「○○さん、起きて首をまっすぐにしてください!」と声。再び呼吸が弱まったのか、「○○さん、深呼吸して、息を吸って!」の声が何回か聞こえる。深呼吸すると息を吐くときに強烈な吐き気。嘔吐するが空気しか出ない.
手術室から個室までの10メートルほどの廊下。嘔吐用のトレイを顔の横に添えられ、嘔吐しながら車いすを押されて移動(ほぼ意識なし)。その後、看護師さんの補助を得ながらベッドに横になる。眼鏡をしていないこともあって、部屋の様子がすべてがぼんやりしている。「ここはどこ?」と何度も落ちそうになる瞼をあげて見回す。このときはすでに、酔っ払いすぎたときのような酩酊状態に似た感覚。気道確保のためか吐き気防止のためか枕をはずされて、顔の横に嘔吐用のトレイを置かれ「ちょっと休みましょうね、吐きたくなったらこのトレイにしてくださいね。何かあったらこのボタンを押してね」みたいなことを言われる(記憶曖昧)。

ちなみに、この麻酔あがりの軟体動物みたいになっていた私を支える力仕事をやってくれたのが、午前中に来た点滴が下手な看護師さんだった。点滴下手だったけど、このときのことを思い出すと感謝の気持ちがわいてくる。そのあと、何回か看護師さんが手術室に置き忘れた眼鏡や荷物などを運んできてくれる。呂律が回らない状態で「か、かんごふはん、まく、まくらを・・・」とか「あいがとございまひた(ありがとうございました)」とか言ってたと思う(吐き気はすぐに収まったので枕を入れてもらえた)。

部屋に戻ってきたのは12時頃だったのだと思うが、いかんせん時計も何も見えなかったのでわからない。

14時頃になると、かなり意識がはっきりしてきた。体を起こすとめまいでフラフラだが、現実から乖離した状態や記憶喪失状態はほぼゼロに。ふらつきつつ、夫に無事終わった旨をメールした。看護師さんがやってきて、退院後の飲み薬の説明をされ、水とクッキーの載ったトレイが置かれていった。最初は吐くのが怖くて水にも手をつけなかったが、14時半頃になって、ほぼ吐き気がないことを確認して恐る恐る水を飲む。信じられないほど冷えた水がおいしい。ひと息に飲んでしまった。そのあと、恐る恐るクッキーも食べた。これも相当おいしかった。もう少し水がほしくてナースコールを押してしまったが、2杯目以降は部屋についてる水道水を飲むように言われた。水道水はぬるいせいか、もしくは2杯目のせいか、あまりおいしく感じなかった。

意識がはっきりしてくると、さっき体験した麻酔中の幻覚が改めて怖く感じた。たった一人で、感情を押し殺しながら朝から過ごしたせいもあったかもしれない。感情や肉体や時間のない、精神的に無風の世界に安心感を覚えた、自分の孤独な願望に直面させられたことへのショックだったかもしれない。かなりケミカルな現実的な幻覚だったので、それを体験したこと自体もかなり戸惑いがあった。
15時半。診察室に呼ばれる。医師から「よく考えてよく相談しての決断だったと思うけど、手術もできる限り慎重にやったけど、今回で中絶は最後にしないといけないよ。あなたには子宮筋腫もあって、生理のたびに大きくなるから、大きくなるとますます出産が難しくなる。次はちゃんと計画して準備してな」と言われる。すべてそのとおりだと思った。「はい」と答える。部屋に戻って着替えを済ませた。16時に退室。

帰りの車のなかでは、体は疲れていたが、ほっとしたこともあって精神的にはさほど動揺していなかった。空腹で、普通に夕飯もきちんととれた。痛み止めの座薬が入っていたせいか痛みもほとんどなく、出血もなかった。

手術当日(1)

午前9時到着の予定で病院へ。渋滞を見越して早めに家を出たので、8時半頃には着いてしまった。受付で少し待たせてもらった。車を降りるとき、送ってくれた夫が「がんばってね」と言ってくれた。夫にしては珍しいことで、驚いたがその気持ちが嬉しかった。


午前9時。最初に通された部屋で寝間着に着替えた(前開きのスリーパー+パジャマのズボン、整理用ショーツ、夜用ナプキン)。このとき通された部屋は手術室のすぐ隣で4畳半ほどの部屋にベッド1台とソファ、テレビが置いてあった。窓もなくトイレも廊下に出ていかなくてはならなかった。印象としては、窓がないしせまいので監禁部屋みたいだと感じた。しかしこのときは「すぐ終わるからこういうところでもいいのかな」くらいに思っていた。
着替えて待っていると、9時半頃に看護師さんがやってきて「緊急手術が入ったので、別室へ移動してください」と言う。同じ階にある別の部屋へ移動してしばらく待機することになった。新しく移動してきた部屋は広く、個室内にトイレやシャワー室もついており、おそらく出産入院用の個室で明らかに設備が良かった。後から考えると、点滴がかなり長くかかったので、トイレへ行くのにいちいち別室まで点滴抱えて行かなければならない最初の部屋ではかなり面倒でストレスがたまったと思う.

10時頃。看護師さんがやってきて、全身麻酔と中絶手術のリスクの説明と同意書へのサイン。かなり怖いことが書いてあるので緊張が高まるが、話し相手もいないので一人で心落ち着かせる。

10時半頃より点滴開始。ブドウ糖の点滴なのだが、このときの看護師さんがかなり下手で、最初に刺したところはハズレで刺し直し(かなり痛い)。次にひじ内側に刺したらシーツに血が垂れるほどドバーッと流血。今までに何度も点滴したけど,こんなに流血したことなかったんだけどな・・・。あわてて血をふきながら、なんとか固定すると「ヨシッ」と言ってる看護師さん。大丈夫かいな・・・。しかも点滴管のアジャスター?を落として、それを拾ってそのまま使っていた。まぁ針ではないから大丈夫なのかもしれないがかなり不安が高まってしまった。しかしやはり話し相手もいないので一人心落ち着かせる。

11時頃より、麻酔による吐き気を防ぐため吐き気止めを点滴に追加。加えて、両肩に「麻酔を効きやすくする」ための筋肉注射。「痛いですよ」といわれ覚悟するも、1本目の感想は「意外と大丈夫」だった。が、「2本目は1本目で痛みがわかってるぶん、さらに痛いです」と言われ、「そんなことないでしょ~」と思ったら本当に2本目のほうが痛かった。2本目の方が痛いのが意外でなんだかテンションが上がってしまい(だれかと話したいという気分もあったと思う)「2本目の方が痛いって不思議ですね!」と何度も言っていたら、看護師さんが困惑気味だった。「うーん、2本目は構えるからですかねえ・・・」と言っていたが、もしかするとクレームだと思われたのかもしれない(もちろんクレームのつもりはない)。ちなみにこの看護師さんは点滴が下手な看護師さんとは別の人。毎回看護師さんが違うので、何を誰に質問すればよいのかよくわからなかった。注射後、「11時15分までにトイレを済ませておいてくださいね」と言われる。

以上で事前の処置は終了し、11時15分頃に手術室へ移動することになる。ネットでは痛いと不評のラミナリアも私の場合は使わなかった。上の処置以外の時間はベッドで横になっていればいいのだが、緊張しているのか眠れない。ネガティブなことばかり考えてしまい、そのたびに「何も考えるな」と自分に言い聞かせていた。かなり感情を抑えこんでいたと思う。無感覚に近い状態になるよう努めていた。

中絶手術の準備

手術は2回目の診察から約1週間後に決まった。前回の生理日から計算すると、6週6日ということになる。手術方法は吸引法になった。

1.手術当日までに用意して持参するもの

・前開きの寝間着:私が手術を受けた病院では術衣はなく、自分で前開きの寝間着をもってくるようにとのことだった。できれば膝まであるネグリジェのようなものが良いとのこと。ネグリジェなどもっていないので、近くの店でスリーパー(ロングシャツみたいな形の寝間着)を購入した。なければジッパーつきのパーカーでも良いといわれたが、胸の形がわかるのは嫌だったし、せめて手術中に着るもののストレスは小さくしたかった。

・生理用ショーツと夜用ナプキン4~5枚:術後の出血用。

・同意書:自分とパートナーの自署と捺印が必要。

・手術費用(現金12万円):当日、急変したときに備えて少し多めに預かるらしい。私の場合には、当日の手術後に1万円ほど戻ってきた。

 

2.手術前日から当日

当日は朝9時に来院し、昼前後に手術し、麻酔からの回復を待ち16時には終了予定。

全身麻酔のため、麻酔中の嘔吐やそれが引き起こす窒息や肺炎などを防ぐ目的で、前日夜9時から絶食。夜12時からは飲水も不可。当日は顔色がわかるようノーメイク、コンタクトレンズの人は眼鏡で。これらの指示はもちろんきちんと守った。

 

準備や当日朝まで、とにかく淡々と進めることを心掛けた。本心としては迷いが大きかったが、論理的に考えればこれ以外の選択はできない。夫は、私が淡々としているせいか、つわりもあまりひどくないので元気そうに見えたのか、「手術が終わったあと、○○へ買い物に行こう」などと言っていて、「さすがに当日は無理だよ・・・」「元気に見えるかもしれないけど、悲しい気持ちがある」と話したりした。話すとわかってくれたようだった。

 

中絶を決めるまでの経緯

妊娠発覚から中絶の決断。

生理が3日ほど遅れていた。基礎体温も高いまま。いつも生理は予定通りに来るのでちょっと心配になり、生理予定日の4日目で市販の妊娠検査薬を使用したら陽性が出た。本当にびっくりした。ただ、「これは困ったことになった」という感情以上に、「うれしい」という感情の方が大きいことに自分でも驚いた。自覚していた以上に、愛する人との子どもができることは嬉しいものなのだなと思った。

しかし、冷静に考えてみると、どうしても今の状況では出産して育てていくことができない。産みたい気持ちと、中絶しなくてはいけない気持ちの間で揺れた。

帰宅して夫に「妊娠したかもしれない」というと、夫もびっくりしていたが喜んでいるようにも見えた。真剣ではないけど名前を考えたりしていて、そんな姿をみていると、自分の産みたい気持ちも大きくなった。「でも、仕事の責任があるから今はどうしても無理だと思う」と話すと、夫は最初「どうにかなるんじゃないか」と言っていたけど、「命を懸けて産むのは君だから、君が決めていい。僕は現時点ではまだ『命』にはなっていないと思うから、中絶を選択しても軽蔑しない」と言ってくれた。優しい人でありがたかった。

翌日、産婦人科へ行った。「おめでとう」と言われたら気持ちが揺れそうだったので、最初の問診票で中絶を検討していることを書いた。診察室に入ると「あ、中絶希望だね」と言われ、もちろん理由などは聞かれず、当日の手術の流れや費用等について淡々と説明された。内診では、「4週目だからまだ小さくてわからないけど、たぶんここにあるね。来週、もう一度来て、手術できるかどうか再度確認しましょう」とのこと。小さい円のようなものが見えて、「子どもがいるんだ、すごい、嬉しい」という気分と、「中絶しなくては。冷静でいなくては」という気分が混じっていた。

帰る前、医者にどうしても聞きたいことがあった。「中絶をしたあとは・・・妊娠しにくくなるんですか?」と質問した。涙声になってしまった。医者は私がまだ100%決意していなかったことに驚いたのか少し間をおいて、こちらを見ずに「それはなんともいえない。妊娠するかもしれないし、しないかもしれない。ただ、中絶をするということは、そういう(妊娠しづらくなる)リスクもあるんだということを十分に知っておいてほしい。よく考えて話し合って、来週もう一度来てください」と言った。

その翌週に婦人科へ行くと、はっきりと存在を確認することができた。そのときも「嬉しい」という気持ちを自覚したけれど、「中絶しなくては。それが一番正しい」と考えるようにした。医者から「考えてきた?」と聞かれたので、「夫ともう一度相談しますが、すごく残念ですがどうしても中絶しなければならないと思います」というようなことを答えた。「それなら早い方がいい。手術の予約をとって血液検査もしてください」と言われ、採決のため別室へ移動した。看護師さんが血液を採取したあと、手術前日から当日にかけての説明をし始めた。途中で、「あの・・・もしも、夫と話し合って、やっぱり中絶しないという方向になったら、キャンセルってできるものなんでしょうか?」と聞いた。看護師さんがちょっとびっくりした様子で「あ、まだ中絶するかどうかは100%決まっていないんですね?」と言って、いろいろと思いやりのあることを言ってくれた。もしキャンセルということなら、前日までに連絡をくださいとのことだった。(この病院は出産希望の人が圧倒的に多いだろうに、今回の中絶に関してひどいことを言われたり冷たくされたりしたことは一度もなかった。自責感が強かったので本当にありがたかった)

帰宅後、夫に妊娠していたよと伝えた。夫は、「長く子どもができなかったから、今回のことはやはり特別なことのように思う。それを僕たちの判断で人工的に止めてしまっていいんだろうか?」と言った。私もまったく同じ気持ちだった。「私も同じ気持ちがある。だけど、仕事のことを考えると、どうしても今年は無理だと思う。産んだ後も子育ては続く。私たちにその準備ができているとは言えないと思う」と話した。感情としては産みたいのだから、これを話している間も辛くて仕方がなかった。私と夫の間で、「子どもができるかどうかは神様が決めること」という考えがあった。特定の宗教を信じているわけではないけど、積極的に不妊治療をしなかったのもこの考えのためだった。それでも、夫は2日間ほど考えて、「でも、神様が決めたと今は思っているけど、実際には生物学上の偶然で、そんなに特別なことと考えなくても良いのかもしれないね」と、最終的に中絶することを受け入れてくれた。

2回目の病院あたりから、つわりらしき症状が始まった。おなかはすくのだがまったく食べる気が起きない。空腹になると猛烈な吐き気が起きるので、常に何かを食べていた。食べると吐き気は落ち着くので、実際に吐くことはなかった。

それから、異様な眠気と疲れやすさ。午前の仕事を済ませると疲労困憊してしまい、椅子に座っていることすら辛いことがあった(実際、職場で横になっている時間もあった)。この時期は仕事も非常に立て込んでいるときで種々の締め切りに追われ、疲れやすさと眠気には本当に困ってしまった。「このままだと仕事に支障が出てしまう」と焦る気持ちが強かったが、その一方で、「おなかに子どもがいる」と思うと愛おしいような幸せな気分にもなり、妊娠するとこういう気分になるものなのかと仕事第一だった自分としては感慨深かった。

(ただ、この眠気は、妊娠と中絶に向けたストレスと仕事のストレスが重なったことで鬱症状が起きていた可能性もある。これまでにも、仕事や家庭でのストレスがあまりに強いと、眠気に悩まされることが何回かあった。)

はじめに

既婚子なしの女。やむをえない事情で初期中絶をしなくてはならなくなってしまった。想像をはるかに超えた辛い体験だった。忘れないために記録しておく。

○中絶を体験するまでの、中絶に対する私の考えは次のとおり。

1)中絶は基本的に「生命を絶つこと」であり、してはいけないこと。妊娠・出産の覚悟なくセックスするのは許されないこと。だから、出産できないならきちんと避妊しておくべき。

2)コミュニケーションとしてのセックスを否定しない。セックスはパートナーとのコミュニケーションの面も大きいので、「セックス=妊娠目的以外でしてはいけない」とは考えていない。

3)1)を前提としつつ、レイプや避妊したにもかかわらず失敗して妊娠をした場合、パートナーが逃げてしまい精神的・肉体的に一人では育てられない場合に、中絶が選択されるのは仕方がない。経済的・環境的・家族関係的に悪い条件で産み落とされる子どもは不利な人生を歩む。そういう宿命が見通せるなら無責任に産むべきではない。

 

以上は、まぁわりと「ふつう」の感覚なんじゃないかと思う。もちろん、周囲の友人のなかには「中絶は殺人。絶対したくない」「お母さんになるのが夢だから、できたら絶対に産む」という人もいる。夢や価値観は人それぞれなので、こういう考えの女性も別に否定はしない。ただ、他人にそれを押し付けるのはいかがなものかと思う。

ちなみに自分はいわゆる「高学歴」と呼ばれるグループに属しており、フルタイム正規職で働いている。自分と似たようなキャリアの友人や周囲の人々を見渡すと、別に聞いてみたわけではないけど、上の1)~3)の感覚は共有してくれる人が多いと思う。機会費用の考え方とか、自身やパートナーの経済力でどの程度教育投資に差が出るかとかの知識を持ってる人が多いし、そういう意味での「理屈」が通じる人が多い。

私個人の出産に対する考え方で、一般からすると少しずれるかもしれないのは以下の点。

4)個人的には、別に貧乏ではないが不和の家庭に育ち(父親の暴力、父親の浮気、金を家に入れない)、母親は「子どものために離婚しなかった」「女は経済的に自立すべき」「自立のためには子どもは邪魔なこともある」と常々言っていた。「私のためにお母さんは不幸に耐えている」と思いながら子ども時代を過ごした。今 の私があるのは両親のおかげであり、すごく感謝しているけど、その子ども時代の「自分がいなければお母さんはもっと幸せになれたの かな」感はいまだに拭いきれない。だから、「子どもを産む」=「正しいこと」「家族が増えて幸せ!」と単純に思えない。

この4)があったので、これまで子どもがいなくても特に残念だとは思っていなかったし、夫ともうまくやっているのでこれ以上何も求めていなかった。結婚して長い間子どもはできなかったが、特に不妊治療などをしようとも思わなかった。

 

まとめると、

・中絶に対して世間なみの忌避感やタブーの感情をもっているが、合理的に考えて条件が整わないのであれば中絶はやむをえないと考えていた。

・子どもを持つことに対してさほどの熱意をもっていなかった。夫婦のみの人生も十分幸せだと思っていたし、働いているので仕事の責任を果たすことが大事。